常夜の灯り

提案も強制も批判もしない、ただの記録です。

大国を去る

遅い時間に目を覚ます。

 

 

起き抜けに寝ぼけ眼でポーチへと向かい、煙草を吸う。頭の曇りが次第に取れる。

 

既に1日の大半が過ぎている日本の友人から溜まっていた連絡を返し、部屋に戻ろうとした時、親友がもういないことを思い出した。今頃は機上の人なのだろう。彼が飛行機に乗っている時には連絡はつかないし、彼が日本に着く頃には僕は宿を出ている。SIMカードもポケットWi-Fiも使っていない僕にとって宿を出るということは長時間連絡がつかないことを意味する。彼が無事に日本に帰り、最初に何を食べたのかの報告を見るのは明日の朝になりそうだ。

 

 

 

50人部屋のあちこちに干した洗濯物を回収して、荷物を移動仕様にする。もう慣れた作業だ。

全ての荷物を持ってロビーの共有スペースに向かった。

 

昼間は例のムームーで長々と過ごすものの、可能な限り宿に居たかった。インターネット環境がある中で暇つぶしと調べ物をしたかったからだ。

 

 

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近くのスーパーマーケットで買ってきた限りなく栄養素の少ない朝食を摂り、ウクライナのこと、ウクライナの後にどこに行くかを考えた。

 

 

 

何も意味のないことをしたいという気持ちがあったため、キエフから数時間の田舎町、チェルカースィに行くというのが一つの案だった。その街は何かで有名ということはなかったが、2年前にプラハの宿で仲良くなった男の出身地だった。観光客や日本人が訪れないような田舎町に行きたいと思っていたので、これは妙案に思えた。だが日本人が行かないため情報がなかった。

 

 

残りの案は、キエフに数日間滞在してからワルシャワに向かうことだった。ただ、ワルシャワに数日間滞在しても尚また数日間余っているので、どうするかが問題だ。

 

クラクフに行き、アウシュヴィッツに行っても良い。名前だけは聞いたことがあるポズナンという街に行っても良い。再びチェコに行っても良いし、スロバキアのコシツェに行ってコシツェ城を訪れるのも良い。

 

脳内国会を緊急招集したが、議会は踊り、結論は出なかった。

そもそも、旅において先のことを考えるのは嫌いなのだ。

 

 

 

チェックアウトの時間が来たので、観念して宿を出た。

時間は余るほどあるので、少しずつ寄り道をしながら歩く。

 

宿の近くの綺麗な教会に来た。

 

 

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調べてみると、「フラム・プレポドブノヴォ・セルギヤ・ラドネシュスコヴォ・フ・ロゴシュスコイ・スロボデ」という名前らしい。長い。

 

東方正教の教会には淡い水色が多い気がするが、どういう意味があるのだろうか。

 

 

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You are here.

 

 

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その近くにもう一つ教会があるが、今日は中に入るほどまでは観光にやる気がない。

 

 

 

数日前から、タガンツカヤの広場から見える一際高い建物が気になっていたので目印に歩いてみることにした。

 

 

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途中で面倒になったのでやめた。

スターリンの時代に建てられたビルらしい。

 

 

 

そこから歩いてプロレタルスカヤのムームーに向かった。

昼食を食べ、旅行記を文字に起こし、本を読んだ。空いているので罪悪感は軽減された。

脆弱なWi-Fiが試行10回のうち1回程度の確率で繋がり、数分で切れるのでたまに連絡を見ることができた。親友は日本に着いたらしい。

 

 

日本に帰ったら食べたいものをリストアップした後に、ベスト10を決めるという暇つぶしをした。

馴染みの定食屋の塩鯖定食が栄えある1位に選ばれた。その後はラーメンや揚げ出し豆腐など評論家も納得の顔ぶれが選出されたが、異例の大躍進を遂げたのはペットボトルコーヒーだった。

 

海外ではコンビニもなく、言わんや日本で流行っている薄めのペットボトルコーヒーなどもない。あれを飲みながらアメリカンスピリットを吸うのが何時もの僕だった。因みにアメリカンスピリットも日本を出てから見ていない。

 

 

 

バスターミナルに向かう時間になり、ビルを出ると老婆がやっているキオスクの屋台でピンバッジが売られているのに目が留まった。

 

それはキリル文字が書いてある、軍の紋章を模したバッジだった。

 

素敵なデザインのものを一つ購入し、僕が旅人コートと呼んでいるカーキで膝丈まであるスプリングコートに付けた。

 

 

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地下鉄を一度乗り換え、6号線でチョープリ・スタンという駅まで向かった。

モスクワは大都市だが、かなり長いこと地下鉄に乗っているので相当郊外に来ているのではないかと思う。僕の住んでいる街であれば市内から出ているくらいの時間だ。

 

 

チョープリ・スタンで地下鉄を降りて地上に上がると、先ほどまでいたモスクワの市内とは少し空気が違うことが如実に分かった。

 

 どこか別の国のような、少し埃っぽくごみごみしていてローカルな雰囲気がある。勿論街は汚くはないのだが、僕が想像していたウクライナがこういう感じだと思っていた。

 

 

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バスは約2時間後だったが、念のためにバスターミナルを探すことにした。

バスターミナルは地図アプリで分かりにくかった上に、格安のバス会社であるため容易に見つけられなかったりトラブルが起きたりすることも覚悟していたのだが、昨日バス会社にターミナルの場所をメールで尋ねると丁寧な英語で返してくれた。

 

 

 

 

地下鉄の駅から少し東に歩き、Shellのガソリンスタンドを過ぎた先にターミナルはあった。

 

 

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これまでのロシアのどの街にもなかったような雑多な雰囲気がある。通路は土だし、ごちゃごちゃとした飲食店の屋台が軒を連ねている。その先にはターミナルの建物、とは言っても荷物検査をするだけの小さな小屋だが、があり、一度入ると荷物検査を逆走できないことも考えられたため、引き返すことにする。

 

 

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バスターミナルの横の通りには幾つもの店が連なっており、ここで14時間のバスの旅に向けた飲食物を購入した。ある食堂の店員から客引きをされたが、少し会話した後に空腹ではないと言って去った。本当はもう少し散策してから食べるものを決めたいと思ったからだ。

 

 

 

銀行があったためウクライナフリヴニャに両替しようと思ったが、受け付けてくれなかった。やはり両国の緊張した関係が影響しているのだろうか。

 

地下道を通ってショッピング・モールに行った。日本のショッピング・モールはどこか均質的に思える。チェーン店がどのショッピング・モールにも同じように軒を連ねており、適当さがない気がするのだが、海外の、それも高級ではないショッピング・モールには見たこともない当地のブランドや、日本ではテナントに入れないような個人経営の商店のようなものも並んでおり、その適当さが良い。

 

 

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実際、このショッピング・モールには知っている店が一つも無かった。

 

面白がって歩いていると、バスの時間が迫っていることに気が付いたので、夕食を食べることにする。

 

 

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チェーン店で食べるのは余り好きではないのだが、少し高いチェーン店で残り僅かなルーブルを使ってしまうことにした。

 

 

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指差し注文で適当に頼んだものは、サンドとマッシュポテトと炒め物のようなものだった。炒め物はマッシュポテトに乗せて食べるらしい。

 

 

 

食べ終えた頃にはバスの時間まで残り僅かになっていたので、急いでターミナルへと向かった。もしかすると14時間乗りっぱなしということも考えられたので、表で煙草を吸ってから荷物検査に進む。

 

 

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ターミナルにはバックパッカーのような成りの人もおらず、観光以外の目的で国境を越えるロシア人かウクライナ人ばかりだった。予定の時刻の直前までバスが来なかったため、近くにいたスーツ姿の紳士に尋ねたがそれも杞憂で、間もなくバスはやって来た。

 

 

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あちらこちらで待っていた人々が集まってきて、僕もバスに乗り込む。

親友と別れる前の不安などもう微塵も残っていなかった。あるのはこの旅では中国以来のバスへの高揚感と、整然としたモスクワという大都市から再びキエフという未知の都市へ向かう期待だけだった。

 

 

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一人のリズムを取り戻す

帰国する親友を見送り、地下鉄に乗った僕は昨日も訪れたドストエフスカヤ駅に来ていた。昨日は閉まっていた博物館に行くためだ。

 

地上に上り、暫く歩いたところにあるスーパーマーケットで大きなコカ・コーラマルボロを買った。この辺りは綺麗で閑静な住宅街ではあったが、どこか少し生活感を醸していた。

 

 

 

 

 

ドストエフスキー博物館は彼が暮らしていた家がそのまま用いられている。一般的にはドストエフスキーと言えばペテルブルクのイメージがあるだろうが、ここは彼が一時住んでいた家だった。記憶は確かではないが、療養のためでもあったと思う。

 

 

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気を付けなければ博物館だということにも気づかずに通り過ぎてしまいそうなほど慎ましい佇まいがとても魅力的だ。観光地然としていない。

 

中に入ろうとすると、玄関の縁石の上で本を読んでいたお婆さんが案内してくれた。スタッフだった。

入館料は200ルーブルと良心的だ。最も、僕は好きな文学や音楽の博物館にはお金は惜しまないと決めていたので、もう少し高くても構わなかったのだが。

 

荷物を預け、部屋を見て回る。

ドストエフスキーの生涯を追いながら、彼の書いた原稿や書簡など幾つもの資料を見る。

 

 

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英語の案内は全ての資料に付いている訳ではなかったが、英語の案内だけでもかなりの情報量だったため、ドストエフスキーについて僕が知らなかったことを多く知ることができた。

 

 

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何より、観光客が多く来るのならば観覧者から距離を持たれてしまうような貴重な資料が、僕の至近に展示されていたことが良かった。

 

 

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彼の寝室などは多少彼が住んでいた頃よりも手を加えられており、人に見せるためになっているようには感じられたが、その他は今も人が住んでいてもおかしくはない様相だった。

 

 

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博物館は清潔で静謐な病院のように思えた。窓から差し込む陽光と風に生命を感じながらも、一方で静かすぎる空気に死に似た寂しさも感じる。

 

最後の部屋を出ると、空気が一段と冷たい廊下に出た。

何やら宗教的な印象を受けた。

 

 

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その廊下の突き当たり、窓から差し込む光の方に歩くと、一つのガラスケースが置いてあり、そこには彼が「カラマーゾフの兄弟」の執筆に用いた万年筆が置いてあった。

気付かない人もいそうなほどひっそりと置かれていたが、僕はこの展示の方法がとても好きだった。

 

 

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展示の内容もさることながら、展示の方法がとても素敵な博物館だった。

 

外に出る。博物館を回りながらずっと集中していたが、周囲の静かな風景が緩和する。

 

 

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敷地内にあるドストエフスキーの像の周囲には草が生い茂っていた。そうは言っても雑に放置されている様子はなく、博物館のスタッフだったあの優しそうなお婆さんとその家族がいれば大丈夫なのだろうなと思えた。

 

 

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昨日とは逆の方向に、ドストエフスカヤから松屋を通り過ぎ、メンデレエフスカヤに向かう。途中で日本の食品も置いているアジア系のスーパーマーケットを見つけたが、どれも高価だったので何も買わずに出た。

 

 

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メンデレエフスカヤ駅の改札の前には幾つかの個人商店があった。昨日2人でここを通った時に、携帯電話のガジェットなどを売っている店に、魅力的なスマートフォンのケースがあるのを見つけていた。昨日は逡巡した結果購入しなかったが、一日考えた末に購入することを決めていた。

 

えんじ色単色のシリコンケースを490ルーブルで購入する。思えば日本で買うよりも相当安かったのだ。

 

 

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地下鉄を乗り換え、1号線のヴォロビヨーヴイ・ゴールィ駅で降りる。

地下鉄の駅だが、モスクワ川の上に架かる橋の上にあった。

 

 

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突然足下に現れるトリックアートを通り抜けて駅を出ると、すぐ横の公園に入った。

 

 

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この駅まで来た理由は散歩をするためだ。ピクニックとでも言うべきか。

あくせく観光をするよりも、散歩をすることが僕の場合では一人旅のリズムを取り戻すのに最適な方法のように思われたからだ。

 

 

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 この公園の名前は知らなかったが、頂上は雀が丘と呼ばれており、調べたところモスクワ市内を最も近くから一望できそうな緑地だった。

 

 

 

 

 

街にゆとりはあるとは言え、やはり大都市モスクワの中心部は騒がしい。だが、その近くにありながらこの公園はとても静かだった。

遊歩道を歩いていると時折道の端にベンチや遊具がある。家族連れがそこで遊んでいる。モスクワに来てからあまり目にしていなかったローカルな街の姿を垣間見て、僕は嬉しくなった。

 

 

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息が切れ始めた頃、急に視界が開けて道路に行き着いた。その道路を数分ばかり西に歩くと、展望台にたどり着いた。

 

 

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この展望台からは、川を挟んだ対岸までロープウェーが結ばれているようだった。

 

決して便利さのためではないロープウェーがゆっくりと往来しているのを見て、こういうゆとり、余裕がある街に住みたいものだと思った。

 

 

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頂上には観光客が大勢おり、柵に沿って皆がカメラを構えている。それには少し興醒めしたが確かに、眺めは壮観だった。

こうして見ると、モスクワは大都市の割りに緑地が多いことに気付く。その奥には高層ビルが密集している一帯があるが、あれは何処なのだろう。今日も明日も行かない辺りなので分からない。

 

 

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目の前に見える、川の対岸に位置するルジニキ・スタジアムはワールドカップの主要な試合にも使われたらしい。その奥は僕らが昨日訪れた赤の広場の辺りなのだろうが、よく分からない。

 

展望台を背にすると、目の前には巨大で荘厳な建物が見えた。

 

 

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この建物と展望台のためか、大きな観光バスが横付けされており中国人の御婦人たちが大勢いる。

 

 

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近づけば近づくほどその大きさに圧倒される。これで大学の講義棟なのだから驚いたものだ。モスクワ大学は名門だからなのかもしれないが、市庁舎や国会議事堂だと言われても納得してしまうほどの大きさだ。

 

 

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雀が丘に登ってからのことを考えていなかったためどちらに行こうかと考えていたが、このままモスクワ大学のキャンパスを通り過ぎて帰ることにする。

 

有名な大学だからなのだろうか、キャンパスを通り過ぎる学生たちはあらゆる国から集まっているようだ。彼らは皆名門の大学生なのだという引け目を勝手に感じたので、通りの端を歩く。

 

 

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落葉しつつあるキャンパスはとても好きな光景だった。

自分の大学に限らず、大学のキャンパスというものが僕は好きだ。

 

食堂に入ろうかと思ったが、混んでいたのでやめた。

学生たちが煙草を吸っていた一角があったので、僕も紛れて、アジア人留学生ですよという気持ちで吸った。

 

僕が通っている大学の、もう取り壊された古いキャンパスと同じ匂いがした。とても好きだった、講義室の横にあった喫煙所を思い出した。講義を抜け出して煙草を吸っていると何処からか友人がやってきて他愛もない話をしていた頃。

 

 

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大学を出て暫く歩いていたが、地下鉄の駅の入り口を見逃してしまい、ぐるぐると歩いた。すると、親友が友人から頼まれていたものの、ついに見つけることはできなかったプーチン大統領のカレンダーがキオスクの屋台で売られているのを見つけた。

 

 

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たったの62ルーブルだったことに拍子抜けした。また、親友は市街地のきちんとした土産物屋を探し回っていたが、街の外れのキオスクにあったことも可笑しかった。親友に後から知らせようと思った。

 

 

 

 

宿で荷物を下ろして直ぐ、夕食を食べに出掛けた。

いつも通りファミリー・レストランのムームー、二日前に親友と行った遠い方に向かう。

 

それは一人の最初の夜を紛らわすためだったし、もう一つ理由があった。

 

明日の夜行バスで僕はモスクワを発つのだが、それまでに時間を潰す場所を考えねばならなかった。朝からだらだらと過ごしたところで、チェックアウトの時間を考えると昼前には宿を出なければならない。だが、観光をする気にもなれなかったし、午後には郊外のバスターミナルに向かわなければならないのなら、慣れない場所に行って面倒が起こると北京の二の舞だ。

 

どこか電源とWi-Fiが確保できる場所で溜まった旅行記を書いたり本を読むだけで良い。そこで、2日前に行った時に電源を見かけた遠い方のムームーに行き、明日時間を潰せそうか確かめようと思ったのだ。

 

 

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ムームーで食事をすると可愛い牛の柄のキャラメルを貰えるので嬉しい。それは甘ったるく、小学生の頃に通っていた理髪店で会計の時に貰っていたキャラメルの味だった。

 

コーヒーとパイで時間を潰した。

電源は潤沢だったが、Wi-Fiは繋がるか繋がらないか、くらいの脆弱さであることを確認できた。明日の昼間に来るかどうかは審議だ。

 

ムームーの下のスーパーマーケットでビールを買い、飲みながら帰る。

 

 

 

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宿に帰っても、陰気な旅人が多い50人部屋では退屈だったので、ロビーの共用スペースで明日の夜行バス以降の旅のことについても考えることにした。

 

ウクライナに着いてからベルリンまでのルートは幾つかあると思ったが、どれにするかまだ決めかねていた。また、早く帰国しなければならない親友に合わせたことで、残りの日数にも幾分余裕があった。

 

最低限の調べ物を終えた時に、横に陽気な男が座ってきた。

 

 

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彼はビールの匂いがして、ひどく酔っ払っていた。Hostel Bed & Beerという名前の宿なのだからビールで酔った客がいるのも当然か。

僕はその時、食べ損ねた夕食を、スーパーマーケットで買ってきた無味なパンと栄養不足を補うための飲むヨーグルトで摂っていた。

 

 

 

彼とはお互いの話やこれからまでの、そしてこれからの旅程の話をした。

僕がロシアの幾つかの都市を経て来たことを言うと、彼は驚いていた。明日の晩にモスクワを出てウクライナに向かうと話すと、どうしてペテルブルクに行かないのかと問われた。

 

彼はペテルブルクの出身で、今はフリーアドレスでITの仕事をしている。

 

 

勿論ペテルブルクは良い街だろうし興味はあるのだけれど、モスクワから西に行く選択肢は少ない。真西のベラルーシ鎖国状態だから通り抜けられない。ウクライナを通って南周りでポーランドに入るか、ペテルブルクからバルト三国を通ってポーランドに入るかの二通りだ。

ウクライナは物価が安いが、バルト三国は物価が高いので貧乏な大学生の僕には難しい。だからと言って、ペテルブルクに行ってまたモスクワに帰ってくるのも手間なんだ、と僕は返答した。

 

酔った彼は、それでもペテルブルクの良さを力説してくれた。

ありがとう、いつか必ず僕はペテルブルクを訪れると思う。

 

 

嘘ではなかった。嘘はつきたくないし、行きたいと思った場所には僕はこれまで訪れてきたのだから、いつかペテルブルクを訪れるだろう。

 

外に出て、夜空の下で二人で煙草を吸う。

何を話したのか、大半のことは覚えていなかった。楽しかったことだけ覚えている。

 

 

 

ふと、お互いの国の話から福島の話になった。

彼が興味津々と聞いてくることに答えながらも、僕は福島のことに言及できるほど多くを知らないことを思い知らされた。

その代わりに、僕が生まれた被爆地のこと、そこで育ったことで自分の信条として持っていることを話した。それは彼の問いに対する充分な答えだったのかは分からない。

 

 

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親友との別れ

親友のフライトは午後だったが、今日急いで観光するようなところも無いため、一緒に昼食を食べてから親友は空港に向かうことになった。

 

 

身支度をし、僕は1日分の荷物を小さなサブバッグに、親友は全ての荷物をバックパックとサブバッグに詰めた。

 

 

彼がチェックアウトの手続きをするのを待ち、宿を出発する。旅の最後の宿を出てからの道はいつも、この後幾つかのドアをくぐれば安心できる自分の街に帰れるのだという高揚を感じるのだが、僕のそれは2週間以上後で、それが他人事だと今はまだ想像することはできない。

 

 

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昼食は特に食べたいところもお互いに無かったため、例のファミリーレストランムームーに決まった。2日前に30分ほど歩いて訪れた店舗の他にも、すぐ近くのタガンツカヤの交差点にもあったようだ。

前回と同じような注文をしたつもりだったが、会計は494ルーブル(約720円)だった。スタローヴァヤのようなシステムでは料金がどれほどになるかよく分からない。

 

 

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白身魚のマリネは美味しかった。脂が使われ過ぎているようにも感じたが、生魚など中々食べられないので貴重だ。

 

 

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親友は昼食を食べると僕は別れると思っていたのかもしれないが、僕は寂しさもあり、また今日の予定も無かったので、彼を駅まで送りたかった。

親友もそれを察したのか、タガンツカヤから地下鉄に乗らずにパヴェレツカヤ駅まで歩くことにしてくれた。

 

 

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ガンツカヤから南西の方向に幹線道路沿いを歩く。

排気ガスがひどいが、川を渡る時に川の南の先進的で綺麗な街並みが見えた。モスクワでは最低限の観光だけであまり歩くことをしていなかったが、川の南は比較的新しい街なのかもしれない。今日は親友と別れてから少し街を歩いてみよう、と思った。

 

 

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親友と排ガス臭い幹線道路を歩いていると、北京で彼と合流した翌日に盧溝橋に向かうこれまた排ガス臭い幹線道路を歩いたことを思い出した。

 

それほど長い旅では無かったが、あの時は汗が止まらないほど暑かった。今は、まだ昼間は半袖でも平気だとは言え、かなり涼しくなったものだ。

 

 

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そういったことを考えているうちに、パヴェレツカヤ駅に到着した。この駅は地下鉄の駅もあるが普通の鉄道の駅で、そのうち一つの路線にドモジェドボ空港に向かう特急があるのだという。

 

 

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モスクワには大きな空港が3つ、小さな飛行場を入れるともう少しあるのかもしれない。国際線はシェレメチエボ空港に発着するものだと思っていたが、ドモジェドボ空港にも発着するらしい。

 

 

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彼がチケットを買うのを待っていたが思いの外早く終わり、もう出発するだけになった。

 

彼をプラットフォームまで送る。

 

別に今生の別れではないし、日本では住む都市は違えど会うことは困難ではない。だが最後に少し話したかった。

彼はもう慣れているのかもしれないが、僕はかなり難儀な性格をしている人間で、こだわりも強い。大半の人とは馬が合わないか、あるいは僕の方が大半の人を遠ざけている。

 

そんな僕と長期間一緒に、慣れない旅をすることは大変だっただろうし、僕が気付いていないところでも迷惑をかけていたかもしれない。

 

だが、それでもやはりここまで旅をできて良かったと思うし、出会って10年以上が経ってもこういうことができる関係で良かった。

この酔狂な旅を経た今、彼と僕はこれから先も変わらず友人であれると確信できた。

ただ、僕の偏屈な性格は少しずつ直していきたいとは思うが…

 

 

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こういったことを急いで断片的に伝え、彼をプラットフォームで送り出した。

彼を乗せると直ぐに電車はホームから去っていった。

電車が動き出すのを見て僕は背を向けて歩き出した。本来であれば僕らの間柄でこういった感傷的なお別れは必要無かったのだが、今回ばかりは伝えたい感謝があった。

 

ただ、彼と別れた今、この先の旅に感じていた不安は驚くほど綺麗に晴れた。僕は酔狂な好奇心を持っている限り大丈夫だし、この先の街も絶対に楽しいだろう。

 

 

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まずはどこに行こうか。僕は地下鉄に乗り込んだ。

 

 

 

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幸せは温かい松屋

起きて、身支度をする。

サブバッグに最低限の荷物を詰める。

 

 

今日はモスクワの観光をすることになっている。

何処に行くかは決めていないが、近くのスーパーマーケットで朝食を買って駅に向かう。

 

 

ガンツカヤ駅から一度乗り換え、9号線のメンデレエフスカヤ駅に着いた。

 駅を出ると、突然日本語が目に飛び込んでくる。

 

 

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焼き鳥屋らしい。やっているのかは分からない。

 

 

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路地を進むと、いくつかのアジア系の飲食店を通り過ぎる。

この辺りはアジア人街なのかもしれない。

駅から10分程歩き、着いたのは日本の牛丼チェーンの松屋だった。

 

 

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僕は松屋が好きだ。

それは大学生の金銭感覚に牛丼チェーンが合っているというだけでなく、メニューや味などが好きだからだ。

 

その松屋がモスクワに店舗を開いたというニュースは随分と前に耳にしていた。

そのことを思い出したのは旅の途中で、親友との協議の結果、モスクワに着いたら行くことになった。

 

 

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通常、僕は海外で日本食を食べない。

それは、日本に帰ったら行きたい店や食べたい味を想像しながら敢えて我慢をすることで、帰国した時の感慨を殊更に噛みしめたいという思いからだった。

だが、今回は旅の半ばで松屋に行くことにした。それは「日本に帰るまで食べたい味を我慢する」ことよりも「ロシアのモスクワで日本の牛丼チェーンに行く」ということの方が面白いと思えたからだ。

 

 

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店に入り、席に通される。

近くを見ると、キッコーマンの醤油が並べられている。全体的に殊更に日本らしさを強調したような装飾があり、まるで浮世絵のような「海外から見た日本」を感じる。

 

 

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席にはコンセントもあった。日本の松屋のように直ぐに食べて出ていくような席ではなく、さながらレストランのようだ。

 

 

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メニューを渡される。

日本のそれと同じような、牛めしやねぎ玉牛めしもあるが、全体的に定食屋のようにあらゆる和食が並んでいる。

 

 

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とんかつもある。日本では同グループの別のチェーンとして展開されている分野だろう。

 

 

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メニューをめくる僕らは高揚している。

これまで慣れない食事ばかりしてきて、それは苦痛ではなかったのだが、突如としてご飯や味噌汁を食べられることが嬉しかった。

この先まだ旅が続く僕は尚更だ。

 

 

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ラーメンやデザートもある。松屋にしては奇妙なメニューで面白い。

 

 

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だが、注文を固めて店員を呼んだところで、まだ肉の準備ができていないので1時間ほど後に来てくれと言われた。

一応、開店時間になってから来たのだが、こういうところは日本式ではないようで、その点に関しては僕らは散々慣れているので、観光してからまた来ることにした。

 

店を後にする。

親友が、店のトイレが非常に綺麗だったことに感動していた。ロシアで一番綺麗なトイレだろうと言っていたので笑ってしまった。

松屋には後ほど来るとはいえ空腹ではあったため、軽食を食べられる場所を探す。

 

 

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駅の通りに戻ったところで、地下に食堂らしきものを見つけたので入る。CCCP…

 

 

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入り口のCCCPという文字の通り、店内は幾分時代を遡ったような内装と雰囲気だった。言葉が通じなかったがいつものようにメニューの主菜らしきあたりを適当に指差して注文をする。

 

 

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ジュークボックスからは数十年前のようなロシアのポップスが流れていた。

 

 

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頼んでいた食事が来た。適当に注文したものは羊肉のパイだった。

ここまで西進した今、再び羊肉に出会うとは思っていなかった。しかも、モンゴルで食べていたそれよりも肉の臭みが取れていない。

 

幸い、羊肉は好きだ。これもまた一興だと堪能した。

 

地下鉄に乗って、ボロヴィツカヤ駅で降りる。

 

 

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地上に出ると、国立図書館ドストエフスキーの像が目に入る。さらに前方に目を遣ると、そこはもうクレムリンだった。

 

 

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クレムリンの赤煉瓦の外周伝いに歩く。世界的な観光地だからか、多くの国の人が訪れている。

 

 

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しかし東欧の建築の色使いには驚かされる。鮮やかな色を使っていながら、主張は強くない。様々な色の集合として一つの景色になっている。

 

 

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街というものは古い部分と新しい部分の間で調和が取ることが難しいのではないかと思う。これまでに街全体で一つの調和が保たれていると感じたのは(僕が訪れた都市の中では)ウィーンだけだった。

だが、モスクワもそれに比肩するようだった。一冊のアルバムを見ているかのような街だ。

 

 

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歴史を感じさせるモニュメントや綺麗な庭園があり、見惚れてしまう。

 

 

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クレムリンの外周に多少の違和感を放つ牛の模様があると思ったら、我らがファミリーレストランチェーンのムームーだった。

 

 

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控えめな主張。

 

 

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無名戦士の墓に人が集まっている。衛兵の交代式があるようだった。

 

 

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衛兵の動きは一糸乱れず規律を保っており、儀式の荘厳さを感じた。

 

 

国立歴史博物館の前の広場は一層多くの人で混み合っていた。

 

 

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ここは丁度赤の広場の裏手にあたる。

 

 

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左側には戦争博物館、この辺りは本当にモスクワの顔とも言える一帯だろう。

 

 

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そんなところでふざけた写真を撮る僕。良くない。

 

 

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門を抜けて赤の広場に入る。

 

 

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ニュースや写真で見るのと同じような景色が目の前にあることに感慨深かった。思っていたよりも広場が広いことに驚く。

 

 

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トム・クルーズが爆発に巻き込まれたのはまさにこの広場だが、映画ではもっと狭く見えた。(M.I.4の話)

 

 

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レーニン廟。近づけないようになっている。

教科書にも載るような人物の墓に来ると不思議な気持ちになる。勿論話すことなど出来はしないが、フィクションの人物に感じられた人と隣り合っているような、不思議な気持ち。

 

 

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広場の半分(丁度ポール・マッカートニーがライブをした辺り!)は催事のためか足場が組まれており、それを迂回するとかの有名な聖ワシリイ大聖堂だった。

 

 

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この色合いも、ファンタジー映画のセットでもディズニーランドの建物でもない。ましてや大統領府の眼前にある大聖堂なので、この色合いや装飾にも何か宗教的な意味があるのだろうと思うが、到底想像はできない。

 

この唯一無二な色使いに、僕らは近くから、また遠くから目を奪われた。

 

 

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暫く聖堂を見てから、近くにいた人に写真を撮ってもらった。

男2人の旅など自分たちの写真を撮らないものだが、数少ないうちのこの写真はとてもお気に入りだ。

 

 

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 避暑のために、広場に隣り合うグム百貨店に入る。

ここは120年以上の歴史があるデパートで、名だたるブランドだけでなく土産物も揃っていると聞いたが、見たところ僕らが買えそうな土産はなさそうなほど高級だった。

 

 

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煌びやかな宝石店や時計店を横目に歩くと、僕らは伸びきった髪と髭に、実用性だけを重視したパーカーという出で立ちだったので、居てはいけないような気持ちになる。

 

 

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グム百貨店には金色に光る高級トイレがあり、名所となっていると聞いたので行ってみたが、入場料がかかったので面倒になり入らなかった。

旅をする中で面白そうなことには金を惜しまないなどと言っているが、こういうことにこそ面白がって使ってみれば良かったのかもしれないと思う。

 

 

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百貨店を出て、両脇に土産物屋がある通りを歩く。

親友は友人に頼まれたのだというプーチン大統領のカレンダーをいくつかの店で探したが、置いていなかった。

僕はいくつかの店でロシア帽が高値で売っているのを見て、やはりイルクーツクで買っておいて良かったなどと考えた。

 

暑かったのでケンタッキーで飲み物だけを飲み、再び歩き出した。

 

手持ちのルーブルが残り少なく両替が必要だったが、流石は中心部、日本円を両替できる銀行があった。手持ちの日本円をようやく使い切り、これからはATMのキャッシングのみになったので金勘定がシンプルになった。

 

 

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赤の広場から離れるにつれ、ブランドショップばかりが立ち並ぶようになる。

そこには如何にもといった身なりの人が出入りしているが、僕らはあまりそういったものに興味がないので段々と退屈になってきた。

 

 

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あと数年が経ち、時間的にも体力的にも今のような旅ができなくなれば、普通にホテルに泊まって観光地に行くという「旅行」をすることになるだろう。

だが、そうなった時にもブランド品を買うために旅行をすることには憧れないだろうと思った。

 

歩いている道から赤の広場の方向を望むと、マルクス銅像があった。

 

 

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その背後には、有名なボリショイ劇場がある。ブランドのショップは退屈だが、やはりモスクワの建物の一つ一つは素晴らしい。

 

 

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突然として黒いセダンばかりが停まっている重厚な建物に行き着いた。下院の議会らしい。

 

 

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口からエクトプラズムが出ているニコちゃんマークの路地に入る。

 

 

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放射状の路地を外側に進むにつれて段々と街は庶民的になる。途中途中の公園で煙草を2本3本と吸いながらだらだらと話していると、もう松屋に戻っても良いだろうという時間になった。

 

 

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チェホフスカヤ駅から9号線で再びメンデレエフスカヤ駅に向かう。

 

 

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モスクワの地下鉄は効率的に路線が張り巡らされているように思える。便利さは東京と良い勝負なのではないか。安さはモスクワに軍配が上がるが。

 

再び松屋に入店する。勿論のこと、今度は準備ができている。

 

日本でいつも好んで食べる、ねぎ玉牛めしを注文した。

日本の空港を出発してから一度も見ていなかった、アサヒやキリンのビールがメニューに並んでいたが、それらはスーパーでロシアの安いビールが7〜8本買えるほど高く、僕らは遠慮した。

 

店内にはスーツ姿の日本人サラリーマンがおり、駐在員にとっては日本のオフィス街で食べていた味だから需要があるのかもしれないなと思った。

 

 

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暫くして、牛めしが運ばれてくる。提供までのスピードが日本ほど意識されていないため少し時間がかかるが、ロシア人アルバイトが慣れない調理を頑張っているのだろうと思うと、微笑ましささえ覚える。

 

牛めしは美味しかった。味噌汁も言うまでもない。

牛肉がかなり細切れだったり、味が少し薄かったりと思うところはあったがこの際どうでも良く、それよりも「モスクワで松屋牛めしを食べているのだ」と思うと僕ら2人はどうにも可笑しくなって笑った。

 

僕らが訪れた数ヶ月後にモスクワの松屋は閉店してしまったらしい。それは現地の物価からして高価なことが原因だとも聞いた。

僕らはあの店が開いていた半年間の間に訪れることができて幸運だったと思う。日本の飲食チェーンが海外進出する際の試行錯誤のようなものを目の当たりにできたことはとても興味深かった。

 

店を出て煙草を吸う。

松屋の隣には丸亀製麺が店舗を構えている。こちらはまだ健闘しているようだ。

 

西に歩いた。途中で、ドストエフスキーの住んでいた家を通りかかる。

今日は家に隣接する博物館は閉まっているので、明日来ようと決める。

親友は明日には帰国なので博物館の外観の写真を何枚か撮った。

 

 

 

昨夜に、これからの旅路が未定であることが不安になったのでモスクワからキエフへの夜行バスを予約した。予約表を印刷する必要があったので、ドストエフスカヤ駅の近くの印刷店に入る。

携帯からの印刷も1枚30ルーブルで受け付けているようだった。店のメールアドレスに写真を送信してくれと言われて困ったが、親友が持っていたポケットwi-fiを使ってメールを送らせてもらった。

 

 

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ドストエフスカヤ駅から宿に帰る。

 

 

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夕方から陽が沈むまで、お互いがお互いの部屋でだらだらとしていた。

もう最後の観光が終わってしまったのだと寂しさが募る。

これまで一度も感じたことのない、旅をする中での寂しさに僕自身が戸惑っている。

 

 

今までは旅をしている最中に日本が恋しくなったことは無かったが、今回は何度かあった。また、これまでは鷹揚に受け流せた海外の適当な接客やサービスに苛立つこともあった。そういったことから、僕はいつの間にか旅に合わない、せかせかとした人間になってしまったのではないかと不安になっている。

 

 

 

だが、なるべく不安は減らす必要があるだろう。僕は親友の部屋で電源を借りて彼と他愛もない話をしながらも、これからのプランを真面目に考えた。

 

 

 

親友は空腹ではないので夕食は食べないと言った。

これは今までも何度かあったことだし、寧ろ昨日きちんと「最後の晩餐」をできてラッキーだったと思うべきのかもしれない。

 

 

だが、やはり多少の寂しさはあった。暗い夜道を商店まで歩き、パンとビールを買った。これが本来の僕の旅の食事で、こういう旅に戻る時なのだと言い聞かせた。

パンは非常に不味く、油っぽかった。それを無理矢理飲み込み、こうあるべきなのだと言い聞かせた。

 

歩き疲れとビールによって僕は早々と眠りについた。"2人旅"最後の夜は呆気なかった。

 

 

 

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首都に流れ着いて

北京から7500kmの旅路を経て、モスクワに到着した。

 

とりあえず宿に向かおうと、カザンスキー駅の外に出る。

 

 

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大体の都市では、一つの都市に大きなターミナル駅が一つある日本と異なり、ロシアでは電車の方向によってターミナル駅が別れているらしい。あまり詳しいことは分からないが。

 

つまり、日本であれば品川駅は「東海地方行きの東京駅」、東京駅は「千葉方面行きの東京駅」、新宿駅は「甲信越地方行きの東京駅」、池袋駅が「東北地方行きの東京駅」といった具合だ。あまり違わないような気もするが、なんとなく違うらしい。

 

僕らが着いたカザンスキー駅はモスクワの東側にあるので、おそらく東に向かう列車の発着駅なのだろう。

 

 

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駅の表に出て街の大きさに驚く。気付けばここしばらく大きな街に来ていなかった。モンゴルの首都のウランバートルでさえもだ。気取らずに平然と綺麗な高層ビルが立っているのは北京以来だ。

 

それもその筈だ。モスクワはヨーロッパで一番人口が多い都市なのだから。ロンドンはおろか、東京よりも多い。

 

 

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近くの人に到着の記念写真を撮ってもらった。

 

プライバシーを守るためのフィルターを除けば、怪しげなシャツとヒッピーのようなコートを着た僕と、黒ずくめでニット帽を被った親友が疲れ切った顔をしているのが分かる。

 

 

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大都市であるのと同時に、観光地でもあるようなオブジェが立っている。少なくとも「モスクワ」の6文字に入り切るくらいには見どころがあるという点が、これまでの街と異なる。

 

 

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時刻は正午に近づき、空腹だったが一刻も早く宿に向かいたかった。

 

電車で眠れてはいたものの、ノヴォシビルスク駅から2日間シャワーを浴びていない。

 

 

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地下鉄のコムソモルスカヤ駅を探す。

 

モスクワは地下鉄網が発達しているので、交通費をケチって歩き倒すという何時もの失敗をしないで良さそうだ。

 

 

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モスクワの地下鉄は日本のように距離料金制ではなく、一回55ルーブルと決まっている。しかも一回55ルーブル(約85円)と、日本であれば隣の駅にも行けないくらいの料金で何処へでも行けてしまう。

 

北京の安宿で日本人バックパッカーと話した「日本は物価が高いというがコンビニがあるので300~400円もあれば外れが無い味でお腹がいっぱいになる。ただ、交通費と宿代が本当に高い。」という会話を思い出す。

 

 

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モスクワの地下鉄はまるで宮廷かのように装飾が施されている。芸術品だ。

 

お金はかかるのかもしれないが、日本でも伝統工芸の職人に依頼して画一的で無個性な地下鉄の駅に装飾を施してほしいと思った。

 

 

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東欧の地下鉄は有事の際のシェルターとしても意味も持つため、深い場所に掘られていると聞いたことがある。この駅もそのような理由で深いのか分からないが、大江戸線の六本木くらい深いように感じられた。そしてエスカレーターが速い。

 

 

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ターミナル駅であるカザンスキー駅の所為か、それとも多い人口の所為か、駅に人が多い。

 

 

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環状線である5号線で2駅、宿の最寄りのタガンツカヤ駅に着いた。

 

安宿というのは便利の悪い場所にあるものだ。それが大都市であれば尚更だというのは経験則としてあったので、環状線沿いにあることに驚く。

 

 

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頭上を見上げればはためくソ連国旗。

 

タガンスカヤ駅を出たところは整然としている綺麗な街だった。

この旅で数回目の「Booling .comに記載された住所と実際の住所が違う」という問題のお陰で、整然とした住宅街を暫く歩き回った。

 

ようやく軌道修正をして宿にたどり着いた。

 

 

 

 

その名前に違わず、レセプションがある1階の共有スペースにはビールサーバーが置かれていた。

かなり先進的な雰囲気の宿のようで、シンプルなTシャツを着たApple Storeジーニアスのようなスタッフが受付をしているのだが、かなり手際が悪い。20分ほど待ってようやく手続が済んだ。

 

僕は男女共用ドミトリーで親友はシングルルーム。これもウランバートルの時と同じで、旅慣れていない親友は疲れているからという理由もあったが、2日後に帰国する親友はルーブルが余っていたし、帰りの長時間のフライトに備えるためでもあった。

僕の部屋は3泊で1320ルーブル、一泊あたり日本円で約660円だ。

 

 

レセプションの隣にあるシングルルームに入る親友と別れ、ドミトリーのある2階へと上がる。

ドアを開けて驚いた。ドミトリーにはかなり多くの人がいる。

 

普通であれば、安宿のドミトリーというものは少なくても6〜8人、多くても15〜18人ほどが一つの部屋に入る。ベッドは2段ベッドか3段ベッドで、団欒や作業に使える机があったりする。

 

しかしこの宿のドミトリーには見たところ中央の通路を挟んで3段ベッドの列が左右に8つずつある。ざっと計算するとこの部屋には48人もいる事になる。

これまで一番多かったプラハの21人ドミトリーよりも倍以上多い。

 

 

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その上、洗濯物を干す場所もないので壁を伝う配管などに所狭しと洋服が掛けられて(否、押し込められて?)いる。

コンセントも、これだけの広さなのに一部の場所にしかないので充電にも困りそうだ。

 

ここでの滞在が前途多難になりそうな予感がした。

 

 

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ベッドは3段ベッドの中段だったがカーテンと小物入れがあるだけ及第点か。

 

談笑したり、パソコンで何やら作業をしたりする人が多かったロビーとは対照的に、この部屋では明らかに人の気配はあるのだがベッドのカーテンを閉めたままの人が多い。

また、フードデリバリーの特徴的な四角い大きなバッグを持った若者が、ロシア語以外の言葉で話している。見た目で人を判断するのは良くないが、彼らは異国からの移民なのではないか、と思った。

 

東欧の安宿はバックパッカーよりも、収入的な問題やビザの問題で住所を得られない出稼ぎの溜まり場になっていることは僕もこれまで経験していたが、ここもそうではないだろうか。

 

彼らにとっても僕にとっても不要なトラブルを防ぐために、持ち物の置き場所には気をつけよう、と思った。

 

 

今すぐにでも眠ってしまいたかったが、親友と昼食を食べに行くことにした。

 

 

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周囲を散策したが、周囲は整然とした都会の住宅街なので、僕の好きなローカルな食堂はおろか、レストランすらありそうにもない。

ようやく、ビルのワンフロアがフードコートになっているところを見つけたので、情趣は無いがそこで済ませることにする。

 

 

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品のない甘さで具が少ないクレープ。

今は全てが悪い方向に回っている気がした。早く充分な睡眠を取り、これからの旅の見通しを立てたい。

 

 

宿に戻る。シベリア鉄道で溜まった洗濯物の消化が急務だったため、レセプションに洗濯機について尋ねに行く。

部屋に洗濯物を干すスペースがなかったため、乾燥機がなければ洗濯機は使わないでおくつもりだった。

そのため「洗濯機を使いたいが、乾燥機はあるか。あるのなら洗濯機を使いたい。無いのなら使わない。」という旨をスタッフに伝えるも、英語を殆ど解さないスタッフは洗濯機を使うのなら100ルーブルだ、としか言わない。

 

言い方を変えながら何度も伝えようとするが、スタッフは僕が金を払いたくない客だと思ったのか、語気強く100ルーブルだと言ってくる。

 

本当に英語が分からないようだが、それだけならともかくこちらを悪い客のように扱ってくる。聞く気がないのだろう。

 

この国の接客の悪さには慣れていたが、こうもひどいのは中々ないので新鮮だ。間違っているのは自分なのに、勝手に喧嘩腰で噛み付いてくるそのスタッフが滑稽に思え、怒りを通り越して笑えてきた。

ようやく彼女が他のスタッフを呼んでくれた(それも「この手に負えない客をなんとかしてくれ」という風な様子だったので腹が立った)ので、代わったスタッフと話したが、彼女も英語を解さなかった。唯一の救いは申し訳ないが分からないという態度だったことだが。

 

もう辟易していたので、乾燥機の有無は分からないまま100ルーブルを払って洗濯機を使わせてもらった。僕も海外のゲストハウスで働いたことがあるが、ある程度の語学力か、それがないならある程度のホスピタリティを持っていることは当然だと思っていたので驚いた。

 

 

結局、乾燥機は無かった。

 

 

約50人のベッドと荷物がある大きな部屋を歩き回り、開いたスペースに小分けにしてシャツを干した。

 

 

面倒なやり取りに辟易したので煙草でも吸いに行こうと廊下を歩いていると、欧米人の女性がすれ違い様に興奮して話しかけてきたのでたじろいだ。

そのTシャツ素敵ね、私そのアルバム大好きなのよ。

 

僕は、ビートルズラバー・ソウルのジャケットがプリントされたTシャツを着ていた。

 

ラバー・ソウルだろ、僕も大好きだよ。

 

それも好きなんだけど、私はあれが一番好きなのよ。でも名前が思い出せない。何だっけ。本当に好きなのに!

 

もしかして、リボルバーかい?

 

そう!リボルバー

 

僕はサージェント・ペパーズが一番好きだよと言って別れた。一陣の風が吹き抜けたような忙しない人だった。

 

今日は何もしない日だと決めていたので、午睡に耽る。

起きると夕暮れ時になっていた。

親友と玄関で落ち合い、タガンツカヤ方面に足を進める。

 

 

北京の宿で日本人バックパッカーと話した時に、モスクワは物価が高いがファミリーレストランでは比較的安価に、しかもボルシチなどのロシア料理を楽しむことができると教えてもらっていた。そのファミリーレストランは市内にかなり多くの数展開していたことが分かったので、その一つに向かうことにした。

 

 

ガンツカヤの広場でニルヴァーナコピーバンドの若者たちが演奏するのを暫く眺める。かなり完成度が高かったが、ニルヴァーナの曲を知らなそうな年配の方々が身体でリズムを取り切れていないのが少し可笑しかった。

この日は市議選が行われ、少し心配だったモスクワの治安は何も問題がなく、ただ緩やかな夕暮れが過ぎていった。

 

 

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プロレタルスカヤ駅の前にあるファミリーレストランムームーに着いた。「My My」というスペルで「ムームー」だが、ロゴや店内の様子からして牛の鳴き声を表すようだ。

 

 システムはロシアの食堂であるスタローヴァヤと同様に、パンや飲み物を自分で取り、おかずを店員によそってもらうものだが、チェーン店だからか、ローカルな食堂よりも綺麗で整然としていた。

 

 

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定番の黒パンにマッシュポテト、カツにボルシチ、あとは旅で不足する栄養を補うためにフレッシュなオレンジジュースをオーダーした。

 

 

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これで363ルーブル(約520円)なのだからかなり良心的だ。物価が高いモスクワならば尚更だ。

 

 

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あらゆる国には有名な料理というものがあるが、一概に名物料理と言っても物によっては限られた店でしか食べられないものや、家庭でしか作られていないものもある。だが、ロシアの定番の料理をこのチェーンのレストランに行けば(それがもし本場の味でないにせよ)食べられるというのは有難いことだ。

 

 

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また、メニューには寿司もあった。日本のそれとは異なり、どちらかといえばカリフォルニア・ロールに近い物だったが、新鮮な魚が食べたくなれば頼むのも良いかもしれない。

 

 

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陽が暮れゆく大通りを見下ろしながら親友と食べた。

親友にとってはもう移動をしなくて良い、帰るまでは安心できる宿のある、とても穏やかな食事だっただろう。未だに身体が電車の振動を感じている気がするなどと話をした。

 

 

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帰り道、昼間は暑いモスクワも陽が暮れれば心地良い風が身体をなぞる。まるで僕も彼と同じで長い旅路を終えたかのように、これまでの道程の話をした。

 

 

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帰路にあったコンビニエンスストアでビールを買う。細やかな到着式をするためだ。

 

宿に戻り、宿の前の駐車場でビールを開けた。

ウランウデで会った軍人の忠告、軍人に路上で酒を飲んでいるところを見つかってはいけない、を思い出したが、駐車場は道から一本奥まっていたし、なんとなくモスクワは自由な雰囲気があるので大丈夫だと思った。都市の空気は自由にする。

 

 

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駐車場の柵で王冠を開栓する。勢い良くビールが吹き出し、それをなるべく失わないように僕らは急いで乾杯をした。

北京で合流した日に宿の外の椅子で細やかな出発式をしたのと変わらないような、僕らだけの細やかな式典だった。

 

僕らはこれまでの旅路での思い出や日本に帰ってからやりたいことなどを話していたが、間も無く親友はビールをこれ以上飲むことができないと言い出した。50時間以上電車に揺られて到着したのも今日の朝だ。疲れもあるのだろうし、彼は僕ほどタフな酒飲みでもない。もっと遅くまで喋りたいと思っていたのだが、そう思っているのも、それができるほど体力が残っているのも僕の方だけだったようだ。

 

眠るために宿に戻る親友を見送り、僕は一人になった。

一人になるとこれからの不安が押し寄せてきた。今までの旅は全て一人だったが、今回は気を許せる親友とここまで一緒に来た後での一人旅だ。一人旅で寂しさなど感じたことはなかったが、途中からとなると話は違った。

 

肚の底から湧いてくる寂しさや不安といったものを押し込めるためにビールを飲んだ。親友が残りは飲んでいいと残していった一瓶も、流し込んだ。

 

 

 

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電車は首都に向けて

親友に起こされた。朝の5時だった。

 

そういえば、もしエカテリンブルグで起きていたら起こしてくれと頼んだ気がする。

 

それは少ない停車駅で今日の分の食料を調達するためだったし、かの親子をを見送るためでもあった。

 

 

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親子は僕に「残ったトマトとキュウリは机の上に置いておくぞ」といったことを伝えると足早に降りて行った。

 

 

ホームに残された僕は一人で煙草を吸った。10℃を下回った空気が快い刺激となって僕に刺さる。

 

大都市エカテリンブルグの様子は電車に囲まれた真暗なホームからは欠片も感じることができなかった。

 

 

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ピザ一切れとコーラを買った。

 

 

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鉄の硬い車体についた夜の露がライトに照らされて、とても綺麗だ。電車が吐き出す白い煙が黒い空に溶けている。

 

夜中のサービスエリアで感じるような、ここだけが「この世の終わり」であるかのような気分になった。

 

 

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寝たり起きたりしていた親友も下のベッドに降りてきた。

この旅で初めて鉄道に乗ったモンゴルでは一面の草原ばかりであった車窓にもロシアに入ったあたりから背の低い木々が顔を覗かせ、イルクーツクを過ぎた頃には針葉樹林ばかりになった。今は白樺の木々が多くみられる。白樺の上に朝陽が昇る。

 

 

イルクーツクを過ぎてから格段と寒くなったことが緯度の変化によるものなのか、それとも緯度とは関係なく寒い時期になったためなのか親友と話した。寒い時期になったのではないかという推測に至った。

寒いロシアを想定していたので、多少寒くなる方が良い。ロシアで半袖というのもイメージに合わないし。

 

 

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昼前まで寝てから起きたが、車窓に変化は見られなかった。

11時24分から20分停車する駅があったが、起きる気になれず逃してしまった。

 

力なくベッドに臥して映画を見たり、一度聞いたラジオを何度も聞いたりした。

 

折角シベリア鉄道に乗っているのに、それに親友の帰る日が近づいているのに、こういう風に時間を過ごしてしまう。だが、こうするしかないのだ。100時間以上も電車に揺られればこうなる。

 

 

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14時30分、バレジノという何もない街の駅に30分近く停車するので飛び降りる。

少し寒い青空の下で煙草を吸い、ピザ一切れとパンとコーラを買う。

 

シベリア鉄道で一番堕落しないのは喫煙者かもしれないな、と思った。

長い停車駅で煙草を吸っている喫煙者は同じような顔ぶれで、それは朝でも夜でも変わらない。ただの依存症なのだろうが、時刻表を見て次は何時にどの駅に何分ほど停まるのかを頭にいれているのだろう。親友は停車駅でも殆ど降りることはなかった。

 

 

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午後は、これまでに集めていた数々のごみ、お菓子の袋や煙草の箱やジュースのラベルやチケットや、をスクラップにしてノートに貼った。

行きの航空会社の機内誌があったので、コラージュにしてノートの表紙に貼った。

 

Netflixで保存していたドラマを2話観たところで停車駅に着いた。もうこういう過ごし方しか残っていない。

ノヴォシビルスクに数時間滞在した以外は4日間電車に乗りっぱなしなので、少しはアクセントがあれば良いのだが。

 

 

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Kirovという駅だった。5時20分から約20分停車した。

 

 

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煙草を吸いながら駅を見渡す。何となく、西に来ていることを実感させられる。

 

この後の停車駅はあっても1つか2つか、その後は首都モスクワ。モスクワでは2日間ほど時間があるがそれくらいで、3日目には親友を日本に見送ることになる。

 

 

一人旅など慣れたものだったのだが、初めて、しかも一番お互いのことを分かっている親友と旅をした後の一人旅には一抹の不安と寂しさがあった。モスクワ以降の予定も決まっていないので焦りもある。

とりあえず忘れて全てはモスクワで考えよう、と思った。

 

 

コンパートメントには僕と親友しかおらず、時折喋ってはお互い物思いに耽るだけの時間が過ぎていく。お互い面倒くさかったのかコンパートメントの電気をつけていなかったため、日が沈むにつれて個室はどんどんと暗くなっていく。

 

暗くなってしまったからか、親友が寝てしまった。

 

 

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ノヴォシビルスクで買っておいたカップ焼きそばのようなものを夕食とする。

 

ロシア語しか書いていないので作り方が分からなかった。適当にサモワールでお湯を注いで待つ。

湯を切ってソースを入れるとじゃりじゃりとした食感だったため、少しお湯を足すと今度は味が薄くなってしまった。

 

美味しくなかったので車掌からスニッカーズのチョコレートバーを買って食べた。

 

 

 

変わらず親友は眠っているので、音楽を聴きながら種々のことを考えた。

バックパックに忍ばせていたウォッカの瓶を取り出して一口飲んだ。本当は駄目だと分かっていたが。

 

携帯電話の、オフラインでも聴ける音楽の中にJohn MayerSRVのLennyをカバーしたのと、ジミヘンのThe Wind Cries Maryをカバーしたものがあったため、真暗なコンパートメントで聴く。

 

 

youtu.be

 

 

この2曲のカバーを3年くらい前の丁度この時期によく聴いていたことを思い出す。

John Mayerの温かいギターサウンドが当時の思い出を呼び起こすが、それは窓の外の灯りのようにぼんやりとしか思い出せない。

思えば遠くまで来たのかもしれない。物理的な距離ではなく、時間的や精神的にという意味で。

この曲を聴いていた頃の何も知らない、格好悪くて(今もそうではないが)タフではなかった自分をこれまで黒歴史であるかのように封じ込めて嫌った。

しかし間違いなく、今よりも満ち足りていたし、今よりも優しかったし、今よりも健康だったし、今よりも穏やかにゆっくりと歩いていた。

 

満足した豚か不満足なソクラテスか、という話なのかもしれない。失った分増えたものもあっただろうから。

 

だが、封じ込めて嫌っていたのは、変化した自分を正当化するための嘘だったからなのかもしれない。時間は戻ってこないが、当時のような方向で、更に成熟した人間に変われるのかもしれない。僕は変化が激しい人間なのだし、いつか変われる気がする。

 

 

youtu.be

 

 

21時半ごろの駅で約15分間停車した。

 

 

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中年男性が僕の下のベッドに乗ってきた。

歯磨きをして寝た。

 

 

 

夜中に目が覚める。

親友のベッドの下にいつの間にか中年女性と小さい子どもが寝ている。中年女性と中年男性の鼾が共鳴して眠れなくなってしまった。

 

電車が駅に停車した。時計を見ると3時50分、この駅には1時間も停車するらしい。

 

 

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モスクワから340kmほど離れたコストロマという街らしい。

それほど大きくなさそうなこの街にどうして1時間も停車するのか分からなかった。4夜連続で電車の中で寝ていた。動かないベッドで安心して眠りたい。シャワーを浴びたい。

 

 

駅舎には朝の4時にも関わらず人が十数人いた。

朝の4時というのは微妙な時間だ。早起きする人と夜更かしする人が唯一共存する時間だと思う。3時はまだ夜だし、5時はもう朝だ。昨日をまだ所有する人と今日に切り替えた人が同じ顔をして街にいる。

 

この人たちが夜の延長線上にいるのか、はたまた早起きして早朝の電車を待っているのか分からなかった。

 

 

駅舎の自動販売機でコーラとスニッカーズでも買おうかと思い50ルーブル硬貨を入れると、自動販売機はうんともすんとも言わなくなった。小さな液晶にロシア語で何やら文字が出るが全く分からなかったため近くの男性に読んでもらい、コーラを買うことができた。スニッカーズを買う気はなくなった。

 

 

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親友との二人旅に関しては、モスクワはボーナストラックのようなもので、終わりが近づいていた。寂しさを噛みしめながらモンゴルで買っていた非常用の煙草、westを吸った。日本円で120円くらいだったからか、喉が痛くなった。

 

 

 

起きると9時30分だった。いよいよ到着だと親友とベッド越しに話すが、下のベッドの男性と親子が荷物を広げて身支度をしているので下に降りることができない。モスクワに近づく街の様子を見たかった。

 

 

最後は少しあっけなく感じられた。いつの間にかモスクワの駅に到着していた。

 

午前11時過ぎ、52時間乗ったこの電車はモスクワに到着した。

2人で待ち合わせた北京から7500km離れたところまで来た。

光で眩しいドアから外に出る。

 

 

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ホームを踏みしめると、感情が意味のない声になって出た。

 

あっさりとした到着だったが、ようやく感傷的になってきた。

高校生の頃休み時間に話していたジョークが実現するだなんて、俄かに信じがたい。

 

 

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歓迎するかのように広がる青空、まだモスクワは暑い。

 

僕らは名残惜しくホームに残り、写真を撮った。

 

 

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万感の思いで煙草を吸う僕。草臥れた顔をしている。

 

 

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この駅の先は終着駅だった。

ここから背後を振り返ると日本に面したオホーツク海まで線路が伸びている。その先端に僕らがいるのだと思うと気が遠くなるようだ。

 

 

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シベリア鉄道はとても長さが長いので、停車駅で降りてもまじまじと先頭を見たことがなかった。こういう風になっていたのか。鉄道に詳しくないのでそれ以上の感想は持てないが。

 

 

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これまでは右に前の駅、左に次の駅が書いてあった看板にも、左側にはExitの文字が。それくらいのことで思わず笑顔になる。

 

お互いに感謝を伝え合った。それは、この旅でお互いが居てくれたことやしてくれたことへの感謝でもあっただろうが、知り合って10年ほど経つ今になってこの旅をできるほど良い関係になれたお互いへの感謝だったように思える。

 

 

感傷的な時間は過ぎ、ようやく駅から出ることにした。僕らのやりたいことは一つしかなかった。シャワーを浴びて静かな布団で寝ることだ。

 

 

 

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親子との出会いと別れ

小雨降るオムスクで煙草を吸う。多くの人間が乗降しているのを見る。

 

 

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ここオムスクはシベリア鉄道の主要な駅の中で最もカザフスタンに近づく駅の一つかもしれない。確かアスタナに向かう電車も出ていたような気がする。

 

カザフスタン、さらにその先の中央アジアに思いを馳せる。いつか行ってみたいものだ。

 

 

夜のためのカップ麺とパン、停車駅を逃した時のためのクッキーを買って再び乗り込んだ。

 

 

オムスクでは同じコンパートメントの男性が降り、その代わりに親子と思しき中年男性と若い男性が乗ってきた。ベッドの上の段から軽く挨拶を交わす。彼らが僕らのそれぞれ下のベッドに入る。

 

 

1時間ほど本を読んだ頃、彼らが急に上段の僕らに話しかけてきた。

英語が分からないようだったので、翻訳アプリで日本人だからロシア語が話せないということを伝える。それから話が弾み、下のテーブルで彼らが広げていた夕食を食べることになった。

 

 

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瑞々しくいトマトとキュウリ、味が染みたチキン、ゆで卵、ロシアならではの黒パン、マッシュポテト、カボチャのソース…どれも本当に美味しい。

 

僕らはレトルトやファストフードばかり食べていた訳ではなかったが、人の優しさに触れたこともあり、この温かい食事を美味い美味いと言って食べた。本当に美味しかった。

 

家に農園を持っており、これらの料理は全部手作りらしい。

 

 

食べながら、翻訳を使って喋った。

彼らは親子で、エカテリンブルグで軍隊にいる次男に会いに行くのだと言う。父親は若々しく見えたが、孫もいるらしい。

 

 

2人とも、ウイスキーコークを作って飲んでいる。シベリア鉄道では酒を飲むことは禁じられているので、彼らはこっそり飲んでいるんだというジェスチャーをしていた。陽気で優しい親子だった。

 

 

美味しい料理は全部、彼らが作ったらしい。野菜も育てていると言っていたが、それが家庭菜園のレベルなのか農場のレベルなのかは、翻訳アプリでははっきりしなかった。

 

 

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僕らと彼らの話をたくさんした。

僕らの素性、大学卒業後のこと、家族のこと、勉強のこと、旅のこと…

彼らの家族のこと、仕事のこと…

 

日本の写真をたくさん見せた。その一つ一つに彼らは純粋に驚嘆し、面白がった。

 

満腹になるまで食べさせてくれた上に、まだ食べろと何度も言ってきた。僕らは有難くそれを固辞すると、彼らはグラスと紅茶のティーバッグをくれた。サモワールで作れということだ。

彼らはウイスキーコークを、僕らは紅茶を飲んだ。

 

 

彼らはウォッカは飲まないらしい。理由は美味しくないから。

ロシア人は例外なくウォッカが好きだと思っていたので驚いた。

 

また、彼らはアメリカが嫌いな典型的なロシア人だった。僕らが使っている携帯電話のメーカーがアメリカのものなのを見ると、どうして日本人なのに日本のメーカーのものを使わないのか?と聞いてきた。そんな彼らの使っている携帯電話はoppoのものだったので笑ってしまった。

 

彼らは屈強な人間だった。父は駅員をやっていた。息子の仕事は忘れた。

彼らはレスリングをやり、大地で野菜を育て、魚釣りをして暮らしている。凍った湖で寒中水泳をしている動画も見せてもらった。

僕はスポーツマンではないのに、夏に一度だけやったボルダリングの写真を見せ、たまにやっているとほらを吹いた。貧弱な奴だと思われたくなかったからだ。

 

僕が魚釣りをしたことがないと言うと彼らはあり得ないといった表情を浮かべ、また来たら教えてやると言ってくれた。親友が彼らとWhatsAppで連絡先を交換した。

 

 

彼らは僕らにロシア語のあだ名をくれた。

僕らのフルネームを聞いてしばらく考えると、親友には「ギェナ」僕には「アルカーシャ」と言った。僕らの本名から取った部分が微かに分かるくらいのよく分からないあだ名だったが、僕らは気に入った。

 

 

僕らはロシア語を殆どと言って良いほど分からなかったので翻訳アプリを使って会話をしていたのだが、時折僕がロシア語をニュアンスで解して会話を進めることがあり、親友が驚いていた。僕が彼らが言ったロシア語を今はこういう趣旨のことを言っているのだと思う、と解説することもあった。

自分では気づかなかったが、そういえば僕が全く見知らぬ土地に適応するのが速いのもこれがあったからなのかもしれない。

 

 

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途中の停車駅で煙草を吸いに外に出る。

まだ夜の早い時間だからなのかもしれないが、急に停車的で降りている人に活気が出てきた気がする。親子のように陽気な人が多く乗ってきたのかもしれない。

 

親子と喋りながら煙草を吸う。近くにいた一人の青年も輪に加わる。

青年はカザフスタンから来て、スロバキアに行くらしい。僕の旅路のことも話した。

カザフスタンの煙草をくれたので一緒に吸った。とは言っても煙草なぞ味にさほど違いがある訳ではないし、これまでモンゴルやロシアの煙草を吸っていたので違いは分からなかった。

 

 

電車に戻ると、彼らは僕らに何杯目か分からない紅茶をくれた。ウイスキーボンボンのチョコレートもくれた。

紅茶を飲みながら、日本のお金とロシアのお金を交換する流れになった。

僕らが持っていた小銭、とはいっても百円玉が数枚ある程度であとは十円玉と一円玉だったのだが、を出すと彼らはロシアの紙幣をくれようとしたので固辞した。その代わり、僕らは千円札を一枚ずつ出し、親友はロシアワールドカップ記念硬貨を、僕はソ連時代のルーブル紙幣を交換してもらった。

 

彼らと話していると、歳は全然違うのだが僕の祖父を思い出した。おおらかで屈強だったからなのかもしれない。

 

 

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日付が変わったころ、再び停車駅があったので親子の息子の方と煙草を吸いに出た。

 

車両に戻るとお互いの恋人の話になっていた。

子供はいるのかと聞かれたので僕らはまだ22歳だぞと言うと、俺が22歳の時にはもう子供がいたぞと返されたため閉口した。

 

そういった話が錯綜した結果、最終的に下世話な話になった。

親父は自分の娘の写真を見せながら胸が大きいだろと言うわ、息子は僕が見せる日本の写真に写っている女子に興奮しだすわで呆れたが、同時にこういった話のボーダーレスさを感じた。

 

だが、狭いシベリア鉄道のコンパートメントの中で興奮されてもこちらとしては堪ったものではないので寝る支度をすることにした。

 

 

彼らが電気を消す時、僕らはイヤフォンで音楽を聴いていた。

彼らが例のようにこのイヤフォンは日本製かと尋ねてきたので僕らはそうだと答えると、とても嬉しそうに頷いたのが面白かった。

 

 

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