遅い時間に目を覚ます。
起き抜けに寝ぼけ眼でポーチへと向かい、煙草を吸う。頭の曇りが次第に取れる。
既に1日の大半が過ぎている日本の友人から溜まっていた連絡を返し、部屋に戻ろうとした時、親友がもういないことを思い出した。今頃は機上の人なのだろう。彼が飛行機に乗っている時には連絡はつかないし、彼が日本に着く頃には僕は宿を出ている。SIMカードもポケットWi-Fiも使っていない僕にとって宿を出るということは長時間連絡がつかないことを意味する。彼が無事に日本に帰り、最初に何を食べたのかの報告を見るのは明日の朝になりそうだ。
50人部屋のあちこちに干した洗濯物を回収して、荷物を移動仕様にする。もう慣れた作業だ。
全ての荷物を持ってロビーの共有スペースに向かった。
昼間は例のムームーで長々と過ごすものの、可能な限り宿に居たかった。インターネット環境がある中で暇つぶしと調べ物をしたかったからだ。
近くのスーパーマーケットで買ってきた限りなく栄養素の少ない朝食を摂り、ウクライナのこと、ウクライナの後にどこに行くかを考えた。
何も意味のないことをしたいという気持ちがあったため、キエフから数時間の田舎町、チェルカースィに行くというのが一つの案だった。その街は何かで有名ということはなかったが、2年前にプラハの宿で仲良くなった男の出身地だった。観光客や日本人が訪れないような田舎町に行きたいと思っていたので、これは妙案に思えた。だが日本人が行かないため情報がなかった。
残りの案は、キエフに数日間滞在してからワルシャワに向かうことだった。ただ、ワルシャワに数日間滞在しても尚また数日間余っているので、どうするかが問題だ。
クラクフに行き、アウシュヴィッツに行っても良い。名前だけは聞いたことがあるポズナンという街に行っても良い。再びチェコに行っても良いし、スロバキアのコシツェに行ってコシツェ城を訪れるのも良い。
脳内国会を緊急招集したが、議会は踊り、結論は出なかった。
そもそも、旅において先のことを考えるのは嫌いなのだ。
チェックアウトの時間が来たので、観念して宿を出た。
時間は余るほどあるので、少しずつ寄り道をしながら歩く。
宿の近くの綺麗な教会に来た。
調べてみると、「フラム・プレポドブノヴォ・セルギヤ・ラドネシュスコヴォ・フ・ロゴシュスコイ・スロボデ」という名前らしい。長い。
東方正教の教会には淡い水色が多い気がするが、どういう意味があるのだろうか。
You are here.
その近くにもう一つ教会があるが、今日は中に入るほどまでは観光にやる気がない。
数日前から、タガンツカヤの広場から見える一際高い建物が気になっていたので目印に歩いてみることにした。
途中で面倒になったのでやめた。
スターリンの時代に建てられたビルらしい。
そこから歩いてプロレタルスカヤのムームーに向かった。
昼食を食べ、旅行記を文字に起こし、本を読んだ。空いているので罪悪感は軽減された。
脆弱なWi-Fiが試行10回のうち1回程度の確率で繋がり、数分で切れるのでたまに連絡を見ることができた。親友は日本に着いたらしい。
日本に帰ったら食べたいものをリストアップした後に、ベスト10を決めるという暇つぶしをした。
馴染みの定食屋の塩鯖定食が栄えある1位に選ばれた。その後はラーメンや揚げ出し豆腐など評論家も納得の顔ぶれが選出されたが、異例の大躍進を遂げたのはペットボトルコーヒーだった。
海外ではコンビニもなく、言わんや日本で流行っている薄めのペットボトルコーヒーなどもない。あれを飲みながらアメリカンスピリットを吸うのが何時もの僕だった。因みにアメリカンスピリットも日本を出てから見ていない。
バスターミナルに向かう時間になり、ビルを出ると老婆がやっているキオスクの屋台でピンバッジが売られているのに目が留まった。
それはキリル文字が書いてある、軍の紋章を模したバッジだった。
素敵なデザインのものを一つ購入し、僕が旅人コートと呼んでいるカーキで膝丈まであるスプリングコートに付けた。
地下鉄を一度乗り換え、6号線でチョープリ・スタンという駅まで向かった。
モスクワは大都市だが、かなり長いこと地下鉄に乗っているので相当郊外に来ているのではないかと思う。僕の住んでいる街であれば市内から出ているくらいの時間だ。
チョープリ・スタンで地下鉄を降りて地上に上がると、先ほどまでいたモスクワの市内とは少し空気が違うことが如実に分かった。
どこか別の国のような、少し埃っぽくごみごみしていてローカルな雰囲気がある。勿論街は汚くはないのだが、僕が想像していたウクライナがこういう感じだと思っていた。
バスは約2時間後だったが、念のためにバスターミナルを探すことにした。
バスターミナルは地図アプリで分かりにくかった上に、格安のバス会社であるため容易に見つけられなかったりトラブルが起きたりすることも覚悟していたのだが、昨日バス会社にターミナルの場所をメールで尋ねると丁寧な英語で返してくれた。
地下鉄の駅から少し東に歩き、Shellのガソリンスタンドを過ぎた先にターミナルはあった。
これまでのロシアのどの街にもなかったような雑多な雰囲気がある。通路は土だし、ごちゃごちゃとした飲食店の屋台が軒を連ねている。その先にはターミナルの建物、とは言っても荷物検査をするだけの小さな小屋だが、があり、一度入ると荷物検査を逆走できないことも考えられたため、引き返すことにする。
バスターミナルの横の通りには幾つもの店が連なっており、ここで14時間のバスの旅に向けた飲食物を購入した。ある食堂の店員から客引きをされたが、少し会話した後に空腹ではないと言って去った。本当はもう少し散策してから食べるものを決めたいと思ったからだ。
銀行があったためウクライナのフリヴニャに両替しようと思ったが、受け付けてくれなかった。やはり両国の緊張した関係が影響しているのだろうか。
地下道を通ってショッピング・モールに行った。日本のショッピング・モールはどこか均質的に思える。チェーン店がどのショッピング・モールにも同じように軒を連ねており、適当さがない気がするのだが、海外の、それも高級ではないショッピング・モールには見たこともない当地のブランドや、日本ではテナントに入れないような個人経営の商店のようなものも並んでおり、その適当さが良い。
実際、このショッピング・モールには知っている店が一つも無かった。
面白がって歩いていると、バスの時間が迫っていることに気が付いたので、夕食を食べることにする。
チェーン店で食べるのは余り好きではないのだが、少し高いチェーン店で残り僅かなルーブルを使ってしまうことにした。
指差し注文で適当に頼んだものは、サンドとマッシュポテトと炒め物のようなものだった。炒め物はマッシュポテトに乗せて食べるらしい。
食べ終えた頃にはバスの時間まで残り僅かになっていたので、急いでターミナルへと向かった。もしかすると14時間乗りっぱなしということも考えられたので、表で煙草を吸ってから荷物検査に進む。
ターミナルにはバックパッカーのような成りの人もおらず、観光以外の目的で国境を越えるロシア人かウクライナ人ばかりだった。予定の時刻の直前までバスが来なかったため、近くにいたスーツ姿の紳士に尋ねたがそれも杞憂で、間もなくバスはやって来た。
あちらこちらで待っていた人々が集まってきて、僕もバスに乗り込む。
親友と別れる前の不安などもう微塵も残っていなかった。あるのはこの旅では中国以来のバスへの高揚感と、整然としたモスクワという大都市から再びキエフという未知の都市へ向かう期待だけだった。
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